家内を見ていて思うのは、コミュニケーションの難しさだ。
先に断っておこう。彼女はコミュニケーションの天才と言ってもいい。たとえば、飲みに行くとしよう。いつの間にか近くの人達と仲良くなっている。お店の人とも仲良くなっている。楽しい人なんですねと言えばそれまでかもしれないが、実は、これはとんでもないことだ。
そもそも、飲み屋では、バックグラウンドの違う人達が集まる。性別も違えば年齢も違う。業界も職業も異なる。つまり、コンテクストがかなり違うということだ。その上で、どういうコンテクストが初対面で聞き出すことは難しい。
そのような限られて条件で、仲良くなるというのはとてつもなく難しいことだ。同じ会社という恵まれたコンテクストでさえ、ラポールを築くのは技術と経験が必要とされるのに、そうでもないのにどうしてそんな芸当ができるのか。
彼女を見ていると思うのだが、それは、受け答えがうまいからだ。彼女は聞くのがうまい。相手に話をさせるのがうまい。ただ話をさせているのではなく、反応をしながら、相手が話しやすいような環境をつくっていく。
そして、話を聞いているときの表情も豊かだ。
つまり、何を話しているか、どう話をしているかというよりは、場をつくっているのだ。
コミュニケーションは、植物のようなものなのかもしれない。コミュニケーションが成立するには、その土壌が必要なのだ。彼女はその土壌をあっという間につくってしまう。だから、彼女はいつの間にか知らない人と仲良くなってしまう。
問題はどうやってその能力を身につけるかだが、それは次回に考えよう。
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