私は、新卒から数えるより定年から数えるほうが近いので、古い世代なんだと思いますが、思うことが少しあります。
飲食店で聞くのは、若い人がすぐやめてしまうという話。
とりわけ、フレンチや和食という世界は、一年や二年で極められるようなものではありません。世界に入ってから独立できるまでに十年かかることはとても多い世界です。
でも、すぐにやめてしまうのだとか。
そこで、立てた仮説が、若い世代の人々が、人生を効率という観点から見ているのではないかというものです。
こんなところで一年過ごしても無駄だから、別の仕事に移ろうという考えです。 「無駄」という考えの背後にあるのは「効率」という考えです。効率よく人生を過ごしたい。無駄を避けたい。一見、正しいように見えますが、これには危うさもあると思います。
たとえば、仕事についたものの、どうも自分には合わない、自分がワクワクすることを見いだせないのなら、それをこなしながら悩むよりは、自分の好きな方面に転職するのはとてもいいことだと思うのですが、最初についた仕事が無駄になるかどうかは、そのときに、自分が何をしたかで決まると思うのです。
たとえば、営業に配属になったけれど、どうも営業の仕事が好きになれない。やはり、マーケティングに移りたい。それだったら、一年とか二年は営業をすると決めて、その後は、社内でマーケティングに異動することを目指す。それが無理な場合には外でマーケティングの仕事につくことを考えて、週末はマーケティングの勉強をする。そうすれば、営業の仕事をマーケティングの観点から少しずつ見れるようになり、転職する際に助かるはずです。
加えて、人生に脱線は付き物。そして、脱線が人生を豊かにすることもたくさんあります。お店の発見とも似ていますよね。Googleしたり、食べログを見たわけでもないけれど、たまたま、出口を間違って発見したお店に興味を惹かれたら、とてもおいししいお店だった。出口を間違うことは単純には無駄な行為ですが、そこから、おいしいお店を発見するという副産物が生まれる。こういうことは、人生にはたくさんあるのです。
だから、もし、人生を効率の観点から見ているのなら、時には脱線してもいいと思うのもいいと思います。こういうflexibilityが後になって花開いたり、人を喜ばせたりすることがあるのですから。
即位70年を迎えたエリザベス女王も同じようなことを思うのではないかと思います。