Monday 24 October 2016

人事部は特殊な専門性が必要か

数年前に、とあるフォーラムのようなものに参加したことがあります。短いフランス映画が上映され、その後、東京大学の先生などがお話をして、質疑応答を行うという構成だったと思います。フランス映画では、工場に人事の学位をとった若い社員が入社して、いろいろ施策を行うのだが却って労使関係がおかしくなってしまうというストーリーでした。
ぼくは質疑応答において、日本において人事部を専門性の高い部門だとみなして、将来の人事プロフェッショナルを育てるべきだという考えを述べたのですが、東京大学の先生は反対の意見をおもちのようでした。曰く、そういうことをすると、映画のような顛末になると。
百歩譲ってその通りだといいましょう。大学を出たばかりの社員に会社の人事制度や人事政策を担当させ、そのまま実施すれば労使関係は壊れる可能性はあります。でも、それは人事を大学で専攻したからいけないのではなく、大学を出たばかりの社員に全権委任したことがいけないのではないでしょうか。つまり、会社や組織をあまり知らない新卒に人事制度や人事政策を担当させるというかなり大胆な任命をしたことが問題だと見るのが妥当なはずです。東京大学の先生の回答にはがっかりしましたが、ある意味で、この回答は的を得ていたかもしれません。
日本の企業では、人事部は専門性の高い部門とはみなされていないと思います。東京大学の先生の回答は、この認識を体現していたと言っていいでしょう。上場企業において、営業や物流を担当して、人事部長になるというのは驚かない人事異動です。なぜなら、日本の企業の多くは、人事はだれでもできると捉えているからです。曰く、優秀な人はどんな部署だってこなせる。これはあまりに楽観的な見方です。時代遅れと言ってもいいかもしれません。この程度の認識では、21世紀において日本企業は競争力を維持できないと思います。
まず、優秀な人ならなんでもできるという発言には、キャリアマネジメントやキャリアデベロップメントという考えは微塵もありません。これでは、各社員の能力を最大化することは奇跡に頼るしかありません。
次に、人事部の仕事は誰でもできるとみなすことは、人事部が会社に与えることができる貢献を認めていないということです。人事部は給与計算をして、福利厚生をまとめてくれればそれでいいと考えている裏返しです。企業をつくるのは人だというのに、この考えは、事業計画と市場環境があえば、会社は成功するというナイーブな考え方に見えます。スポーツの世界において、すばらしい選手たちに恵まれており、資金も潤沢にあるクラブがうまくいかないケースを何度となく見たはずなのに、こういう考えがうまくいくでしょうか。ぼくは、20世紀終わりに日本企業が勢いを失い、一方で、米国企業が勢いを取り戻したのは、人事部に対する認識が原因だと思っています。
米国企業では、人事部を戦略的パートナーと捉えて専門的アドバイスの元、戦略的に人的資源を活用・開発することに取り組みました。一方、日本企業では、戦後から進歩はありません。たとえば、報酬・評価を取り上げて見ても、基準が曖昧で不安定であり、たまに現れるカリスマ的リーダーによって業績が上がるくらいで、永続的に業績を築ける文化と人材を提供する仕組みはほとんどないでしょう。人事部は採用オペレーションをこなし、あとは給与計算と福利厚生オペレーションを行うコストセンターという捉え方しかしていないと思います。仮にそれ以上を期待していたとしても、その期待を満たす人材はいないでしょう。
先日、友人たちと話をしていたときに、奇しくも、将来の人事プロフェッショナルを育成するべきだという話になりました。自分だけでなく、他の人も同じように考えていたと知ったことはとてもうれしかったし、勇気をもらいました。このブログがそのような動きの助けになればと思う次第です。


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